人間は変われる


 「非行少年や情緒障害児といった子は、一生懸命に生きれば生きるほど嫌われるところがある子供たちで、マイナス面で目立つしかないんです」
と、詩人でもある野呂さんは語る。自分より弱いとみるとすぐ叩いたり苛めたりする子がいて、ある日、野呂さんは自分の家に連れてきて、「どうして苛めるの」と聞いた。
すると、その子は泣きながら「僕の生き方、ほかにありません」と言ったそうだ。自分の存在を示すために、そうしたマイナスの行動しかとれないのである。しかし、よく話を聞くと、人間の痛みや生きる悲しみをちゃんと持っていることが分かった。
「生きる方向が反対なだけなんですね」と野呂さんは言う。
「悪いことをした子、反攻する子に起こってはダメです。しっかしと抱きしめてほしいのです。そして、ゆっくりと話しかけます。心が通じると必ず泣き出します。お互いに欠点をさらけ出します。私は、よく泣きながら話し合いました」
こうも言っている。
「向かい合わないで、草取りをしたりしながら話しました。同じ仕事をして、心の水位が一つになると、子供は素直になってくるようです。乱暴な子が生き生きとして、生産的になっていく、そういうふうに変わってくれることが喜びでした。」



よき残照は一生涯消えない


 ヒルティーは、幼年時代が楽しいものであれば、その残照は一生涯消えないものだし、その逆の場合は、苦い不快感が生涯を通じて跡を曳くものであるといっている。
 親子関係はすべての人間関係のスタートであり、親子の間が満たされるものであった場合は、友達とも、恋人ともうまくいく。そうして他人と協力する喜びを知る。そにょうな親密になる力を持った人は、会社などでもうまくいく。
●批判ばかり受けて育った子は非難ばかりします
●敵意に満ちた中で育った子は誰とでも戦います
●褒められて育った子はいつも感謝することを知ります
●励ましを受けて育った子は自信を持ちます
●仲間の愛の中で育った子は世界に愛を見つけます
●公明正大な中で育った子は正義心を持ちます
●寛大な人の中で育った子は我慢強くなります
子供の養育環境づくりには、このアメリカインディアンの教えが参考になるだろう。



よく教えるとはこういうことだ

 テストをして点数をつけ、順位をつえkたものを掲示して生徒の尻を叩く学校がある。テストの本来の目的は、それによって生徒たちが「何が分かり」「何が分かっていないか」を知り、誰にも分かるように指導するためのものであるはずだ。
 小学生の子供がいつも百点のテストを持って帰ってくるので、自分の子どもは大変よくできると思っていた親がいた。ところが、どこの家の子でもそうだというのだ。
不思議に思ってよくよく聞いてみると、子供たちの先生は、テストをしてできない子がいると、できない問題のところをもう一度教えたり勉強させたりして、もう一度テストをした。
まだできないところがあると、その問題を勉強させたりして、もう一度テストをした。
そのようにして100点になるまで何度もテストをしてやっていたのだ。
 なんと素晴らしい先生だろう。
 学校のテストとは、事務的に生徒を区分けし評価をするための手段ではなく、どの子にもよく分かりよくできるように指導するための先生の反省の手段であり、それによって子供たちに勉強して成長していく楽しみを味わわせるものだと思う。現実では、教師は教え方を反省するどころか、生徒の責任にしている。



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